日本の戦国時代、そのころ中国はどんな時代?──「戦国」と「明末」をくらべてみる

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織田信長・豊臣秀吉・徳川家康が活躍した戦国時代
日本ではおなじみのこの時代、ふと「同じころ中国はどんな国だったんだろう?」と気になったことはありませんか?

この記事では、日本の戦国時代(おおよそ15世紀後半~16世紀末)に、中国ではどんなことが起きていたのかを、歴史の流れとあわせてやさしく解説します。

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1. 年表でざっくり比較してみよう

まずは、日本と中国のざっくりした年代感をつかんでおきましょう。

1-1. 日本の流れ(目安)

  • 1467年:応仁の乱が勃発 ⇒ 戦国時代の始まりとされる
  • 1543年:鉄砲伝来(九州・種子島)
  • 1549年:フランシスコ・ザビエル来日、キリスト教伝来
  • 1560年代:織田信長が台頭
  • 1582年:本能寺の変
  • 1582~1598年:豊臣秀吉の政権、全国統一ほぼ完成
  • 1600年:関ヶ原の戦い
  • 1603年:徳川家康が征夷大将軍に ⇒ 江戸時代へ

1-2. 同じころの中国の流れ

この時期、中国大陸では明(みん)王朝が支配していました。明は1368年に建国され、17世紀半ばまで続く王朝です。 日本の戦国時代にあたるのは、明の中ごろ~末期、特に以下のあたりです。

  • 15世紀後半:成化帝・弘治帝の時代(まだ比較的安定)
  • 16世紀前半:正徳帝の時代(政治の乱れが目立ち始める)
  • 16世紀中盤~後半:嘉靖帝・隆慶帝・万暦帝の時代(地方反乱や財政難が深刻化)
  • 17世紀前半:明末の混乱、農民反乱・満州族の台頭 ⇒ 1644年に明滅亡、清が成立

つまり、日本が群雄割拠の戦国時代だったころ、中国では「明王朝がゆっくりと衰退していく時代」だったと言えます。

2. 「戦国だらけ」ではない?中国は一応“統一王朝”の時代

「戦国」という言葉は中国にもありますが、中国でいう戦国時代は紀元前4世紀ごろのはるか昔の話で、日本の戦国時代とは別物です。

日本の戦国時代は、室町幕府の力が弱まり、各地の大名が事実上独立して戦い合った時代でした。
一方、中国の明王朝は、形式上は皇帝による中央集権の統一国家です。 国全体がバラバラに割れていたわけではありませんが、次のような問題が積み重なっていきました。

  • 宦官(かんがん:去勢された宮廷官僚)が政治を牛耳り、汚職が横行
  • 皇帝が政務を放り出し、学者官僚との対立が激化
  • 銀の流通や対外貿易の変化による財政難
  • 北方からのモンゴル・満州族の圧力
  • 農民反乱や地方の軍事勢力の独立化

つまり、日本が「外からの敵より内輪もめが中心だった戦国時代」なのに対し、
中国は「一応まとまっているけれど、中から腐っていく明末の時代」だった、とイメージすると分かりやすいです。

3. 海でつながる日本と明──倭寇・勘合貿易・南蛮貿易

3-1. 倭寇と海の治安問題

室町~戦国期には、東シナ海・黄海沿岸で活動した海賊集団倭寇(わこう)が中国や朝鮮を悩ませていました。 初期の倭寇は日本人が中心でしたが、後半になると中国人や朝鮮人を多く含む多国籍の海賊集団となります。

明は海禁政策(勝手な海外渡航・交易の禁止)をとって海上秩序の維持を図りましたが、合法的な貿易の道が少ないぶん、かえって密貿易や海賊が増える皮肉な結果も生んでしまいました。

3-2. 勘合貿易から堺商人・南蛮貿易へ

足利義満の時代、日本は明と勘合貿易という公式貿易を行いましたが、戦国時代に入ると幕府の力が衰え、勘合貿易は終わります。

かわって台頭したのが、堺・博多などの商人たちによる私貿易や、ポルトガル人・スペイン人との南蛮貿易です。 鉄砲・キリスト教・新しい交易ルートなどが日本にもたらされる一方、中国側では、銀貿易を通じてヨーロッパ・日本とつながる「世界経済の一部」としての顔が強まっていきました。

4. それぞれの「大名」と「官僚」──権力構造をくらべてみる

4-1. 日本:カリスマ大名が国をまとめる

日本の戦国時代では、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康といったカリスマ性のある武将が、軍事力と政治手腕で勢力をまとめ、最終的に江戸幕府という新しい秩序を作り上げました。

彼らは、自分の地盤(領国)を持った「武士のボス」であり、部下の大名を家臣として組み込むことで支配を固めていきます。

4-2. 中国:皇帝と官僚システムのゆるやかな崩壊

明では、科挙という難関試験を突破した官僚と、皇帝を頂点とする中央集権の仕組みがありました。 しかし明末になると、

  • 宮廷内部での権力争い
  • 莫大な戦費と贅沢による財政破綻
  • 地方で募兵した将軍たちが半独立化

といった問題から、皇帝・官僚の統制力が弱まり、各地で反乱軍や地方勢力が台頭していきます。 日本のように一人の「信長」や「家康」が現れてまとめるのではなく、むしろバラバラになって清王朝に取って代わられる形で歴史が進みました。

5. 日本の戦国時代が終わったあと、中国はどうなった?

日本では1600年の関ヶ原の戦いを経て徳川家康の江戸幕府がスタートし、安定した江戸時代に入ります。

一方中国では、17世紀前半に李自成らの農民反乱が起こり、1644年に明は滅亡。 その後、北方の満州族が建てた清(しん)王朝が中国全土を支配していきました。

つまり、

  • 日本:戦国の混乱 → 徳川幕府で約250年の安定
  • 中国:明末の混乱 → 清による新たな支配へ

というように、ほぼ同じ時期の混乱をきっかけに、両国のその後の歴史は別々の方向へ進んでいきました。

6. まとめ:「戦国時代の日本」と「明末の中国」から見えること

日本の戦国時代と同じころ、中国は明王朝の中~末期で、

  • 形式的には統一王朝だが、内政の乱れと財政難が深刻
  • 北方からの圧力・農民反乱・海賊・密貿易など問題が山積み
  • 世界の銀貿易・海上交易の中で大きな役割を果たしていた

といった特徴を持っていました。

日本が国内の大名同士の戦いを通じて新しい秩序を作り上げたのに対し、 中国は王朝そのものが交代することで混乱から抜け出した、という違いも興味深いポイントです。

「日本の戦国時代のころ、中国はどんな時代?」という視点で歴史を見てみると、
同じ時代でも国によってまったく違う物語が進んでいることが分かり、世界史がぐっと立体的に感じられます。 興味が湧いたら、次は「ヨーロッパでは何が起きていたのか?」など、別の地域との比較もぜひ楽しんでみてください。

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